骨髄移植のドナーについての意見や危険性についての情報に関するいくつかのサイトを見ました。私の印象はどこも同じようなことが書いてあって、インターネットに意見を書いている人の立場が偏っているように感じます。
例えばある意見交換のサイトで、家族が骨髄提供をすると言い困っている方に対して、「本人の意思を尊重すべき」とか「人の命を救う尊い心だ」とかいう回答が多くありましたが、現実はそうでないと思います。当事者の気持ちがなかなか伝わっていないようで残念でした。他には、全身麻酔について調べてみると、どのような危険性があり、それを回避するための安全策が何でありどのような手順で行われるのかを説明しているサイトは多くあるのですが、なぜ骨髄採取に全身麻酔が必要なのか目的が書かれていません。処置をする側にとってはどんな安全策をとっているかが大事なのでしょうけれど、今の私が知りたいのは部分麻酔でない明確な理由です。
数日前には、あんなに威勢のいいことを言っていた私ですが、友達に相談したり家族に相談したりするうちに、自分が安易に考えすぎていたらしいことに気付かされました。ちなみに相談した人のうち、100%はもとより、少しでも賛成の意見の人は一人もいませんでした(これは私にとって、非常にありがたくてうれしいことでした)。骨髄採取の危険性も大事な要素ではありますが、もっと大事なこともあります。1週間そこそこでいろいろな意見を聞かせてもらえて、私なりに消化をしているところです。
そんなの痛いからやだな
こんな人には、相談して損した、と思いました。今後の進捗を知らせる価値もないですね。
あまり真剣に考えたことが無かった
これは、登録したとしなかったという違いこそあれ、私はこの意見の一人かもしれません。今になって詳しく情報収集をして真剣に考えています。あとは、骨髄移植やドナー登録の告知活動の浸透具合も影響しているのでしょうか。
危険性は?
これは、過去のデータによる統計、医師からの説明、精密な検査、などでかなり明確になります。必要でない医療行為を行うという疑問はあるにしても、これは、交通事故に合う確率なんかを考えるとたいした問題ではないことがすぐにわかると思います。
見ず知らずの人に?家族に移植が必要になったら?
これは、どれだけ考えても答えは出てきそうにありません。答えが出ない程難しい問題ですが、だからこど逆に、私にとっては考慮する要素としては優先度が低いですね。だって、考えても答えが出ないから。
人生後半なら少しくらいなら何があっても良いけど
確かに。へんな表現ですが、配偶者も見つけて、子供もいたりして、生き物としてだいたいのことを終えていたら(笑)少しぐらいならって私も思えることでしょう。
目から鱗だった意見は、骨髄移植という治療方法に対する反対意見でした。最新の携帯機種を選ぶように、最新のものが良い!なんては言っていられません。今、遺伝子組み換えやクローンに対する反対意見と同じように、つい十数年前にはこの臓器提供のドナーという言葉も受け入れられていなかったはずです。慣れとは怖いですね。それと同時に医療行為の安全性も高まっているとは思いますが。
真剣に現実問題として考え始めると、理屈が通らないのです。危険性があるからとか、会社を休まないといけないからとか、そんなのはどうでも良いのです。納得するにはどうにでも解決できます。骨髄提供の組織やルールの批判をしたり、会社休暇制度など社会のサポート体制を批判するのはとても表面的なことしか注目していなくて、もしこの骨髄移植という治療方法を確立して普及させる必要があるのであれば(←これは大事です、この前提を仮定した場合。)定量化しにくい目に見えないハードルがありますね。
今の心境はまさに、無知の知。ちょっと前は100%自信を持って提供をするつもりだったのだけれど、今は本当に、50%-50%で、自分でもどっちに転ぶのか予想がつきません。
3 件のコメント:
いろいろな意見、考えを考慮できるというのはすごいです。そういう時間は無駄になることはないでしょう。
考えにくたびれたらちょっと置いといたりして、そうするうちにいい方へ導かれていくと思うよ。自分に必要なものが集まってきてるところなのかな。
人間のやさしさとか、愛とかを示す方法はいろいろあるよ。むつかしくないさー。私もいろいろ考える機会をもらいました。ありがとね。
usabunさん:
そうですね、ちょっと時間をおくというのもいい解決方法ですよね。まだ少し時間があるので、焦らずに自分の気持ちが固まるのを待とうと思います。
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